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(縁ある人物)

緒方洪庵先生

緒方洪庵先生


言わずと知れた大阪を代表する歴史上の人物緒方洪庵先生です。その洪庵先生のお墓が当寺境内地にご夫人(八重さん)のお墓と並んで建っております。
洪庵先生は激動の江戸幕末期に生き、蘭医学のお医者様として天然痘予防である種痘の普及やコレラの治療法を開発し画期的な業績をあげられました。そして最後は江戸の将軍またはその家族を診療する奥医師にまで成られたお方でした。一方では私塾の適塾を開設し後進の指導にも尽力されそこからは名だたる英才達が輩出されてゆきました。その代表格として福沢諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎らがおります。
いずれも明治維新の新しい日本の建設に寄与した人達です。
とにかく私心を捨て、この国の未来の為、人々の為に生きられました。
その人柄は自著「扶氏医戒之略」の一説に強く表れています。

一、医の世に生活するは人の為のみ、おのれがためにあらずということを其の業の本旨とす。


また御夫人の八重さんも洪庵先生を陰ながらしっかりと支えたお方でした。塾生達からは母の様に慕われ、亡くなった翌月、福沢諭吉が駆けつけ、お墓をお参りし丁寧に掃除していったというエピソードが残っております。
また洪庵先生の傍らには弟子の大村益次郎の足塚があります。日本陸軍建設の祖である彼はその反対派の襲撃にあい足を負傷し切断。それが致命傷となり、すぐに亡くなってしまいました。その死の直前、自分の足は師の墓の側に埋めてほしいと遺言したのでした。
そのほかに境内地には洪庵先生の師である中天游先生のお墓も残っております。